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欧米社会の根底にあるもの、それはカースト制 その6

繰り返しになりますが、キリスト教やイスラム教がヨーロッパ人やペルシャ人に広まるのは、せいぜいここ1500年位の話しです。

それに対して彼らがインドヨーロッパ語族であることは、諸説ありますが、少なくとも6000年前からなのです。

とすれば、カースト制こそ欧米の文化の基層なのではないでしょうか。

タテマエとして彼らは万人の平等という衣を羽織っていますが、実はカースト制がDNAレベルで染みついており、本音では差別論者なのです。

こういうことを言うと、次のような反論が出てきそうです。

「日本だって、江戸時代までは士農工商という身分制社会だったではないか。近代化される以前の社会なんてどこもそんなもんだ」

確かにそうなのかもしれません。

この言説には様々な再反論が可能ですが、先ずは過去日本にあったとされる士農工商という身分制から考察を続けていきましょう。

現在の歴史学会の有力な学説では、士農工商という言葉は単に「色々な職業に就いている世の中の人々」位の意味で、身分制度を表す言葉ではないという理解が主流のようです。

社会的に重要な公家や僧侶がこの四つの中に含まれていないから、この理解は正しいと私も思います。

ただそれでも、この中で侍には一定の特権があったというのは確かなようです。

それに対してカースト制は司祭であるバラモンを頂点に、王族や戦士であるクシャトリア、庶民にあたるヴァイシャ、それに奴隷であるシュードラの四つから成ります。

ここれアレっと思いませんか。

士農工商ではトップに立つお侍様が、カースト制ではバラモンの下に位置づけられて二番目なのですね。

ここが本論考の二番目のポイントです。

西洋社会の根底に流れるカースト的な思想では、軍事力よりも精神世界を重んじているのです。

儒教で言えば覇道よりも王道が理想という思想でしょうか。

ただ江戸時代の侍は軍人としての役割だけを果たしたのではありません。

幕藩体制の下、武士は為政者として国政や藩政にあたりました。正に実務家なのです。

それに対して僧侶やバラモンは知識階級といったところでしょうか。理論家であり、今で言えば大学教授に該当すると思います。

理論家と実務家。この両者はなかなか相容れないものがあります。

サンフランシスコ講和条約の時、全面講和論を唱えて条約調印に反対した東大総長の南原繁を、時の総理だった吉田茂は曲学阿世と罵りました。

今でも社会に出れば、「理論は理論、実務は実務。大学で学んだ通りには社会は行かないぞ」と新入社員は先輩から諭されるものです。

即ち、日本では理論家よりも実務家が重んじられ、西洋やインドではその逆なのです。
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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